研究紹介
シトクロムP450を利用するバイオ触媒の開発
第2章: デコイ分子を用いたP450BM3等の機能改変
第15話「化学進化デコイ分子を用いた野生型P450BM3による触媒的メタン水酸化」
我々はこれまでに長鎖脂肪酸水酸化酵素P450BM3に対し、デコイ分子を添加して、ベンゼンやプロパンといった非天然基質を水酸化する酵素機能改変を開発してきた。デコイ分子の構造を第1世代、第2世代、第3世代と進化させ、非天然基質の水酸化効率の向上にも成功しており、さらに、独自のHPLC型微小高圧反応装置の開発により、高効率なプロパン、エタンの直接水酸化にも成功した(第2章 第7話: 高圧反応装置の開発と気体分子の高効率水酸化)。しかし、最も単純な構造を持つ炭化水素であるメタンの直接水酸化は達成していなかった。メタンの触媒的な直接水酸化によるメタノールへの変換は、我が国が有する数少ない天然資源であるメタンハイドレートを化学工業原料として活用する際にも有効な反応であり、その技術開発が強く求められてきたが、その一方で、触媒的な酸化反応の中では最も難易度の高いdream reactionの1つとして認知される反応と言われている。メタンの直接水酸化が難しい理由の1つにはメタンのC-H結合が極めて安定ためである(=反応性が乏しい。メタンのC-H結合の解離エネルギーは104.9 kcal/molで、エタンの101.4kcal/mol、プロパンの2級炭素では98.6kcal/mol)。また、酵素によるメタンの水酸化においては、その最小の分子サイズが大きなネックになり、酵素-メタン複合体の構築の困難さ、言い換えれば、酵素内の適切な位置にメタン分子を配置することの困難さに繋がっている。このため、これまでデコイ分子を用いて、P450BM3の活性中心付近の反応空間を制御しても、メタンの水酸化は観測されてこなかった。また、自然界においても、メタンを水酸化可能なP450は未だ見つかっていない。
P450を用いたメタンの直接水酸化という挑戦的な課題に対し、我々はデコイ分子の構造をメタン水酸化用に最適化し、P450BM3の活性中心をメタン用に再構築するアプローチを取った。そこで、以前にデコイ分子の化学進化の際に作成したジペプチド型デコイ分子のライブラリーを用い(第9話: 多段階スクリーニングによるデコイ分子の化学進化)、メタンの代わりに呈色反応でのスクリーニングが可能なブロモメタンを代理基質とし、マイクロプレートリーダーにより、メタン水酸化に適していると予想されるデコイ分子候補6つを選抜した。さらに、メタンの水酸化においては、その反応性の低さから、生成物であるメタノールの生成量は決して多くはない。そこで目的のP450BM3による酵素反応により生じたメタノールの生成量を精確に見積もるために、基質として13Cで標識されたメタンガスを用い、さらにGCMS分析においては、Solid-phase microextraction (SPME)によるサンプルの濃縮を利用した。スクリーニングで選抜したデコイ分子候補を、変異導入を加えていない野生型のP450BM3に添加し、高圧反応装置で10 MPa (約100気圧)の13Cメタンの条件下で酵素反応を行ったところ、GCMS分析において、13Cラベルされたメタノールに由来するピークがはっきりと観測された。結晶構造解析からはメタン水酸化用に見出した化学進化デコイ分子がP450BM3のヘム周辺を覆っており、取り込まれたメタン分子がヘム近傍から抜け出すのを防ぐ役割を果たしていると予想される。今回のデコイ分子を用いたP450BM3によるメタンの触媒的水酸化の効率は1時間に酵素当たり、わずか4回転と、実用的とは言い難いが、自然界に存在する天然のP450BM3に対し、化学合成したデコイ分子を加えるだけで、最難関の水酸化反応であるメタンの水酸化能を引き出した結果は、P450の潜在能力の高さを示すと共に、デコイ分子を用いた基質誤認識システムが、天然を超える能力を天然の酵素に与える可能性を示す結果と言える。
詳細はこちらの論文をご参照下さい。
- S. Ariyasu, K. Yonemura, C. Kasai, Y. Aiba, H. Onoda, Y. Shisaka, H. Sugimoto, T. Tosha, M. Kubo, T. Kamachi, K. Yoshizawa, O. Shoji, "Catalytic Oxidation of Methane by Wild-Type Cytochrome P450BM3 with Chemically Evolved Decoy Molecules" , ACS Catal., 13, (2023) 8613-8623
https://doi.org/10.1021/acscatal.3c01158